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それは誰のための安心?

  • 執筆者の写真: yamasakik2023houka
    yamasakik2023houka
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

みなさまこんにちは。ナーシングカンパニーのやまさきです。


訪問していたある方。

転倒をきっかけに、家の中でも歩行器を使うようになった。

「またこけたら入院になる」と、ケアマネも主治医も口を揃える。だから外出も控えるように、って。


でもその方はもともとは山歩きが趣味だった人。

筋力は落ち、座っている時間が増え、足がむくみ、動くのがますますしんどくなる。

それでまた動かなくなる悪循環。


もちろん、安全は

大事。

でも、“転ばせない”ことが“その人らしく生きる”ことより優先されるのって、なんだか切ないなあ。


本人がそれを望んで選んでるならいいのかなあ。

でも「みんながそう言うから」そうなってるんだとしたら?その人の「こう暮らしたい」の行き場は?


そんなふうに思い続けていたってことを、改めて思い出しました。でも実は、私が亡き父に同じように対応してしまっていたんです。だから、父への贖罪の気持ちもどこかにあるのかもしれない。

その思いも込めて、私は誰もが自分らしく動いたり感じたりしながら過ごせる場所を、ナーシングホームで実現したいんです。


訪問看護を32年もやってるけれど、まさか自分が大きな法人辞めて会社つくるなんて考えてもなかった。

どれだけ経験積んでも、やりたいことができないって場面が逆に増えてるような気がしていた。


訪問看護の部門では、本当にがんばってたと思う。スタッフが一緒に一生懸命動いてくれて手応えもやりがいもあった。


でも別の部署では見ている景色が違うって感じることが多くて、いろんな職種がいる中で組織図・組織のつくりそのものや、サービスのあり方も見直すことが、経営も質も良くする、もっと言えばその人のための安心は、大規模だからこそ実現できると確信してほかの管理職も一緒に考えてくれて、準備して、いいチームになりかけていた。


でも簡単じゃなかった。私が辞めた一番の理由はトップと考えが合わなかったこと。やりたいことを提案しても、「それは難しい」「おかしい」「前例がない」とくる。

最終的に決めるのはトップ。私にどれだけ思いがあって案を練っても「決める人」ではない。

上の方針が違ったら「できること」には限界がある。組織にいれば組織に従うのは当たり前のこと。


「じゃあもう自分でやるしかないか」と。決められる立場になろうとしたと言えば聞こえは良いけれど、実際は勢いで辞めたって感じかも(笑)。

自分だけが正しいと思ってたわけではなく、どうにもならない無力感?夫にはどんだけ負けん気強いねん、と呆れられましたが、それだけじゃないんだよ。


でも不思議と後悔はしてないばかりか、まだまだ経営は厳しいけど、自分が本当にやりたかったことに向かえている気がしています。


安心って、ほんとうに“その人のため”になってる?

その問いが私の背中を押し続けるんです。



当ステーションでは訪問看護を一緒に実施してくださる看護職、セラピストスタッフを募集しています。常勤スタッフはもちろん、都合の良い時に働きたい、という方も大歓迎です。

お問い合わせは、0798-63-2007山﨑まで、お気軽にお電話くださいね♪






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